サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
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「コレ、買おうかな?」
「え~。。要るの??」
「でも、あっても困らないけど無かったら困る時もあるんだよね。」
という会話。
よく聞く。。
ふと、シャワーを浴びながら考えた。
これって、説得力あるようだけど、だまされてるような。。
あっても困らないけど、無かったら困る時もある。
じゃあ、あったら困るものってなんだ??
ゴミ?
確かに、ゴミはあったら困る。
でも、こういう会話は、普通、お店とか、買い物のシーンでの会話だ。
お店にゴミは売ってない。
そもそも、お店には、「あったら困る」モノは売ってない。
そういうモノをお金を出して買おうという人はいない。
じゃあ、なんだ?この台詞?
「あっても困らないけど無かったら困る時がある。」
「あっても困らないけど無かったら困る時がある。」
これでいいじゃん。
「無かったら困る時がある。」
「ちょっとだけ欲しい。」みたいな。。
「たまに欲しい。」みたいな。。
う~ん。。説得力に欠ける。
同じ意味なのに。。
「あっても困らないけど、無かったら困る時がある。」
実は、コレは、議論のすり替えという。
冒頭の会話。
「え~。要るの?」と訊いた人は、
「無くっていいんじゃない?」と言ってるのだ。
コレに対するノーマルな返答の仕方としては、
「あったほうがいい。」か、「無くってもいい。」か、どっちかだ。
でも、「あっても困らないけど、無かったら困る時がある。」というのは、
答えがはっきりしていないということだ。
判断しかねる。
でも、ちょっと欲しい。みたいな。。
だから、議論のすり替えを行う。
「あっても困らないけど、」と付け足す。
そう言われたら、多くの人は、「あったら困る」理由を考えてしまう。
でも、お店に「あったら困る」モノなんて置いてない。
便利だから商品になっているのだ。
だれかが欲しがるから値段がつく。
だから、言い返せない。。
「そりゃそうかもだけど。。」みたいな。。
でも、奥さん。。
だまされてますって。。
「あっても困らないけど、無かったら困る時がある。」
と言われたら、
「無くっても困らない」理由を探すべきなんです。
「あっても困らないけど、無かったら困る時がある。」
の反対語は、
「あったら困る」ではなく、
「あっても、無くっても、困らない。」です。
言葉って面白いと思う。
こういう議論のすり替えがウマい人がいる。
一見、論理的で、整っていて、正しく見える。
だからみんな、「あの人は頭いい~」と思う。
言葉巧みな人は、他人を支配できる。
言葉の持つ力。
だから、「ペンは銃よりも強い。」
バベルの塔の建設を止めさせるのに、人間の能力を下げる必要は無い。
言葉を混乱させればいい。
しかし、本物は、言葉の巧みさによっては成り立たない。
本物を知っている人は、言葉の巧みさよりも重視すべきものがあることを知っている。
言葉の巧みさは、内容じゃないからだ。
言葉の巧みさは、手段であって、そこに本質は無い。
福音を伝えるうえで、
説得力のある説教を追求するというのは、一つの常識とされている。
でも、説得力は、本質ではない。
本質は福音だ。
説得力だけ伝わっても、福音が伝わらなければ意味が無い。
バベルの塔で言葉が混乱した。
ペンテコステはその逆の出来事。
その比較は、注目する点としては正しいかもしれない。
でも、福音を伝えるのに必要な事は、言葉巧みになることではない。
ペンテコステの出来事は、弟子たちが福音を真に理解したという事にあるんだと思う。
外国語でしゃべりだしたのは、手段であって、本質ではない。
本質は、しゃべっている内容だ。
言葉巧みな説教者ではなく、本質を知っている一クリスチャンでありたい。
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