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サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
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ひさしぶりなのに、
 
なんだか、
 
長いタイトルになっちゃった。。
 
---
 
とある友人に勧められて、『日常』というアニメを見た。
 
確かに面白い。。
 
 
で、ホントに面白いわけだ。。
この回は、声ないけど、声あります。。
 
その友人いわく、
「原作モノは、原作を超えることができないことが多いけど、
これは、原作を超えてしまった数少ない例。」だそうだ。
原作は、マンガらしいが、読んでないので、分からない。
けど、こういうアニメ的手法をうまく活用してくるあたり、
さすが、京アニと言えよう。。
 
で、
 
本題。。
 
このアニメ、2クールに渡って放送されたわけです。
もう終了しましたが。。
で、2クール目にエンディングが変わりまして、
毎回、同じ絵なんだけれども、
流れる音楽が毎回変わるというエンディングだったそうです。
その音楽と言うのが、
登場キャラクターの声優陣が歌う合唱曲でした。
 
たとえば、
 
 
こんな感じ。
 
そして、その曲のラインナップが、なんとも、ボクの世代にヒットなわけです。。
上の曲なんか、中学時代の合唱祭の定番でした。
あと、これとか、
 
 
イントロですぐ分かる。。
小学生の時、何度歌わされたか。。
 
これとかは、
 
 
中学の卒業式を思い出して、涙出てきてしまいます。。
 
もしかしたら、このアニメのスタッフは、ボクと同年代なのかもしれない。
ふと、そう思いました。
 
先日、5年ぶりくらいに、一緒に就職した友達に会った。
就職して、もう7年目くらいになるならしい。
7年目。。
7年目ともなると、それはそれは、前と全然違って、
それなりの仕事をしているわけです。
思えば、もう30ですよ。
教会でこそ、20代や、10代の若者と一緒の事が多いですが、
社会では、お父さん、お母さんになってる人も。。
マイホームどしよっかな~??なんて言ってる人も。。
いるわけで。。
 
そういう年代になってくると、
特にマスメディア関連の企業では、情報の発信源になってくることも増えてくるわけです。
社会の中心に影響を与えてくるような。。
そんな年代になってきたわけです。。
アニメ『日常』の製作現場なんて知らないけれども、
そういうアニメの製作の中心も、ボクの世代の人になってきたりするわけです。。
 
もし、世間が、そういう世代に変わっていくとしたら、
世間がまるで自分の考えや思いを受け入れてくれてるような錯覚に陥ると思います。
「あ、やっぱり自分と同じように考える人、たくさんいるじゃん!」みたいな。
あるいは、
「社会が変わって来て、自分の考えに近づいてきた!」
なんて。。
 
それって、危険かな。。
と思うのです。。
 
多分、信仰的な事柄で、教会がそのように変わっていったとしたら、
やっぱり、「これが御心だった。」って思っちゃいますよね。。
でも、それってホントに御心なのかな??
単に、同じ世代が教会に増えただけじゃないのかな?
もしかしたら、ある種のムーブメントって、
そういうところから、始まっていったかもしれない。
んで、世代が変わると、受け入れられなかったりする。。
初めから御心なんかじゃなくて、ただのその世代のブームだから。。
 
教会が自分の考えに近づいてきた時、
黄色信号をだせるようにならないといけないのかもしれない。。
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『生きる』
1. 生命を保つ。生存する。
2. 生計をたてる。生活をいとなむ。
(広辞苑)
 
おひさしぶりです。。
ボクはまだ生きています。。
ブログが滞っていてすみません。。
 
生きるという言葉の使い方が、
日本語と英語で微妙にニュアンスが違うのではないかと思ったことがある。
ミシシッピにいた頃、
英作文のレポートで、
「魔女は間のこの世界では生きられない。この世界には、あらゆる目的が存在しないから。」
(ナルニア国物語:魔術師のおい)
という文章を英語で書くことになり、
The witsh can not live in this world.
と書いた。
すると、英語の先生が、ここのcan notはおかしい。
ここでは、will notだと言う。
can なのか、willなのか、という事でしばらくもめたが、
後から気付いたのは、liveではないということだった。
どうも、ボクが日本語で意図していた文章が、liveでは伝わらないらしい。
試しに、surviveで見せたら、納得してた。
The witch can not survive in this world.
 
『生きる』という単語の中に、日本人がまず持つイメージは、
生き延びる、ある一区切りの「生」があるというイメージだと思う。
生まれてから死ぬまで、人によって長さは様々だけど、
その生存しているという状態が「生きる」というイメージだ。
そこから、次に持つのが、日々の生活の仕方であり、
朝起きて、顔洗って、仕事行って・・・というライフサイクルのイメージだ。
 
英語に訳すとき、日本語の『生きる』の最初のイメージを伝えるには、
surviveか、existであって、liveではないという事が、この英作文の出来事から分かった。
確かにliveにも生存しているという意味があるが、
liveには、もっと生活感があるようだ。
だから、liveという言葉にcan notは使わないのだと思う。
 
ここから、もう一つ、気をつけるようになったことがある。
それは、liveという単語を目にした時、「生きる」と訳すのをためらうようになった。
生きると訳すと、日本人が微妙に違うニュアンスで捉えてしまうからだ。
liveという単語を目にした時、それは、「生活する」という意味なのか、
「生存する」というニュアンスで捉えていいのか、
考えるようになった。
そして、大抵の場合、「生活する」の方が近い。。
 
今日読んだupper room、この「生きる」ことについて語っている。
人生設計を立てて、明日の事を見ながら「生きる」のか、
神がデザインした今という瞬間を「生きていく」のか、
日本語では、どちらも生きるだが、
英語では、前者は、spend the days、後者は、liveだ。
神がデザインした今を、生活していくのだ。
 
神を信じて生きる
と言った時、英語では、surviveや、existは使わないだろう。。
そこは、liveだ。
では、日本語で「神を信じて生きる」と言った時、
本当にliveの意味で生きているだろうか?と考えさせられる。
生活の全てにおいて、神を信じているだろうか?
神を信じながら、朝起きて、
神を信じながら、顔を洗い、
神を信じながら、朝食を食べているだろうか?
今日のupper roomは、こう締めくくっていた。
God desires for us to live in the here and now.
神は私たちに今、ここで生きる(live)事を望んでいる。
もちろん、神と共に。。

またボカロかよ。。

そぉぅだよ。ボカロだよ。

『カムパネルラ』という曲です。
きっと『銀河鉄道の夜』をモチーフにした作品なんだろうね。

ちょっと歌詞を掲載。

---

『カムパネルラ』
作詞作曲:ささくれP

銀河のさかな あいたいよ・・・ 
届かぬ想い届けたくて 
カワグェーテの 紙飛行機に 
ありったけの想いのせて 放つ 

ゆるり弧を描いたそれは、ほたりと落ちた

はじめからね 紙飛行機(こんなもの)じゃ 
届くはずないこと知ってたんだ 
『それだけ遠く それだけ遠く 
君が行つてしまつただけさ』
それだけなんだ。 
それだけなんだ。

銀河のさかな あいたいよ・・・ 
届かぬ想い届けたくて 
サーカトーヴォの おさない気球に 
ありったけの想いのせて 放つ

ひさひさと浮かぶそれは、まるでイツカの-

はじめからね 気球(こんなもの)じゃ 
届くはずないこと知ってたんだ 
『それだけ遠く、それだけ遠く 
君が行つてしまつただけさ』

はじめからね 気球(こんなもの)じゃ 
届くはずないこと知ってたんだ 
『それだけ遠く、それだけ遠く 
君が行つてしまつただけさ』
それだけなのに。 
それだけなのに。

「ナルメリウスの 宇宙の舟。 
ありったけの想いのせて、今、あいにいくから。」

はじめからね 宇宙舟(こんなもの)じゃ 
届くはずないこと知ってたんだ 
『それだけ遠く、それだけ遠く 
君は行ってしまったのです』

はじめからね 宇宙舟(こんなもの)じゃ 
あえるはずないこと知ってたのに。
それでも僕は-。 
それでも僕は-。

---

なんかね。
歌詞が気に入ってしまって。
音楽を聴いてくれるとわかると思うんだけど、
『もう会えない』感が滲み出してくるのです。
『銀河鉄道の夜』もすごく寂しさの残る、
『もう会えない』感まるだしの作品だけど、
この曲もそんな感じ。。

そして、歌詞がいい。。
こんなものじゃ会えるはずないこと知ってたのに~。
それでもボクは。
それでもボクは

どんなことをしても超えられないへだたり。
宇宙船をもってしても、届かない距離。
人類のすべての英知を集めても、ちっとも縮まらないもの。
そんなものが、本当にあって、
そして、「それでもボクは!」と言いたくなる思い。
この思いは、なんだろう??
どうして、こんなにも、この思いに感動するんだろう。

ボクは、この歌の中に、神様の愛を見た。
神様の聖は、人間と神様の間にあるへだたり。
その差は、どんな人間の英知をもってしても埋められない。
飛び越えることはできない。
会いたいけど、会えない距離だ。
人間は、この距離の前に絶望しかない。

だけど、神様は、この距離を越えて、こちらに来た。
「それでもボクは!」と言って、この距離を越えてきた。
それが神様の愛。
神様がその壁を越えるのに、どれだけの犠牲を払ったか、
理解を超えている。
それほどの犠牲を払ってでも、「ありったけの思いのせて」逢いに来たのだ。

そんなことを重ねてこの曲を聴いてしまう。

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こよみ
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