サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
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361 同志が帰ってきました
同志が帰ってきました。
4歳のてでの同志。
1年ぶりの再会に、彼はちょっと照れていたようです。
でも、うれしかったなぁ。。
照れるってことは、覚えていてくれたってことですよね。
え?ちがう??
アメリカに行ったばかりの頃、
英語できず、友達もできず、逃げてばっかりだったてでに、
いつも、「おいで。」と誘ってくれて、一緒に遊んでくれたのは、
当時1歳半のてでの同志でした。
パパ、ママからは「めんどう見てくれてありがとう。」と言われたけど、
めんどう見てもらってたのは、てでの方だっただろうな。
てでは、彼の中にイエス様を見ました。
英語ができないてでに、英語を教えるでもなく、
友達ができないてでに、友達を提供してくれるでもなく、
勉強が分からないてでに、勉強ができるようにしてくれるでもなく、
ただ、いつも行くと笑顔で迎えてくれて、
「おいで。」と遊びに誘ってくれて、
時にけんかもしたりして。。
イエス様は、てでが英語ができるようになるのを望んでいるんでもなく、
てでが友達にたくさん慕われるようになるのを望んでいるんでもなく、
勉強ができるようになってほしいわけでもない。
ただ、てでにイエス様をもっと知ってほしくて、
イエス様を求めてほしくて、
いつも一緒にいてほしいだけ。
てでは、そのためにアメリカに行き、学び、今でも真剣にイエス様を求めている。
それを教えてくれた同志。
異文化の中で、共に苦しんだ、悩んだ、闘った仲間。
おかえりなさい。
「Mくん。もう、日本に帰ってきちゃったんだよね。」
そうだよ。帰ってきちゃったんだよ。
よく頑張ったよね。向こうで。
4歳のてでの同志。
1年ぶりの再会に、彼はちょっと照れていたようです。
でも、うれしかったなぁ。。
照れるってことは、覚えていてくれたってことですよね。
え?ちがう??
アメリカに行ったばかりの頃、
英語できず、友達もできず、逃げてばっかりだったてでに、
いつも、「おいで。」と誘ってくれて、一緒に遊んでくれたのは、
当時1歳半のてでの同志でした。
パパ、ママからは「めんどう見てくれてありがとう。」と言われたけど、
めんどう見てもらってたのは、てでの方だっただろうな。
てでは、彼の中にイエス様を見ました。
英語ができないてでに、英語を教えるでもなく、
友達ができないてでに、友達を提供してくれるでもなく、
勉強が分からないてでに、勉強ができるようにしてくれるでもなく、
ただ、いつも行くと笑顔で迎えてくれて、
「おいで。」と遊びに誘ってくれて、
時にけんかもしたりして。。
イエス様は、てでが英語ができるようになるのを望んでいるんでもなく、
てでが友達にたくさん慕われるようになるのを望んでいるんでもなく、
勉強ができるようになってほしいわけでもない。
ただ、てでにイエス様をもっと知ってほしくて、
イエス様を求めてほしくて、
いつも一緒にいてほしいだけ。
てでは、そのためにアメリカに行き、学び、今でも真剣にイエス様を求めている。
それを教えてくれた同志。
異文化の中で、共に苦しんだ、悩んだ、闘った仲間。
おかえりなさい。
「Mくん。もう、日本に帰ってきちゃったんだよね。」
そうだよ。帰ってきちゃったんだよ。
よく頑張ったよね。向こうで。
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360 おかえり
おかえり。
早く会いたいな。。
---
寮の中でけんかした事がある。
って、前に書いたっけ??
アメリカの寮ではなく、日本でね。。
寮の中でけんかした。
意見があわなくて、熱がこもって。。
自分の自己中心さを思い知らされた事だった。
事の発端は、寮を変えたい。という気持ち。
方向性の違いで、すごい口論になった。
どちらも同じ気持ちを持ってるはずなのに、
互いに相手を攻めあった。。
後で、冷静に考えれば、なんで口論になる必要があるのか全然分からない。。
しかし、許せないと思う気持ちがお互いにあった。
それが、自己中心。
自分のやりたい事をお互いに主張した結果だった。
それがぶつかりあい、あ互いをおとしめようという気持ちに発展した。
自分はこ~~んなにも簡単に人を傷つけたいと思うのだ。とはっきり自覚した。。
そこには、愛は無かった。
C.S.ルイスの悪魔の手紙という本を読んでいる。
ルイスはすごく頭が良くて、とてもうまく悪魔の姿を描きだしている。
そこに出てくる悪魔は、よくアニメやゲームで出てくるような、
2本角はえた、翼のはえた紫色の体して、牙があって・・・
みたいな姿ではない。
誰でもあこがれるような、きりっとした顔立ちで、
聖書や、哲学や、ありとあらゆる「正しい」モノをよく知っていて、
正論を言い、疑うすきもなく、信頼できる姿だ。
ただ一点、真実の愛から人を遠ざけるために、別のもっと身近な愛を語るだけ。
他者への愛から、自分への愛へ人を導く。
聖書はその誘惑から逃れる唯一の方法は、
神を、真実の愛を、心に据える以外に無い。と説く。
悪魔は確かに自分の隣にいる。
しかし、神が自分の中にいる限り、悪魔は手を出す事が出来ない。
神は人の心の中に入るのに、条件を人に要求しない。
悪魔は人の心の中に入るのに、代償を奪っていく。
神は人の幸福を願って、人の心を叩き続ける。
悪魔は人の破滅を願って、人の頭の奥にささやき続ける。
ごめんなさい。
早く会いたいな。。
---
寮の中でけんかした事がある。
って、前に書いたっけ??
アメリカの寮ではなく、日本でね。。
寮の中でけんかした。
意見があわなくて、熱がこもって。。
自分の自己中心さを思い知らされた事だった。
事の発端は、寮を変えたい。という気持ち。
方向性の違いで、すごい口論になった。
どちらも同じ気持ちを持ってるはずなのに、
互いに相手を攻めあった。。
後で、冷静に考えれば、なんで口論になる必要があるのか全然分からない。。
しかし、許せないと思う気持ちがお互いにあった。
それが、自己中心。
自分のやりたい事をお互いに主張した結果だった。
それがぶつかりあい、あ互いをおとしめようという気持ちに発展した。
自分はこ~~んなにも簡単に人を傷つけたいと思うのだ。とはっきり自覚した。。
そこには、愛は無かった。
C.S.ルイスの悪魔の手紙という本を読んでいる。
ルイスはすごく頭が良くて、とてもうまく悪魔の姿を描きだしている。
そこに出てくる悪魔は、よくアニメやゲームで出てくるような、
2本角はえた、翼のはえた紫色の体して、牙があって・・・
みたいな姿ではない。
誰でもあこがれるような、きりっとした顔立ちで、
聖書や、哲学や、ありとあらゆる「正しい」モノをよく知っていて、
正論を言い、疑うすきもなく、信頼できる姿だ。
ただ一点、真実の愛から人を遠ざけるために、別のもっと身近な愛を語るだけ。
他者への愛から、自分への愛へ人を導く。
聖書はその誘惑から逃れる唯一の方法は、
神を、真実の愛を、心に据える以外に無い。と説く。
悪魔は確かに自分の隣にいる。
しかし、神が自分の中にいる限り、悪魔は手を出す事が出来ない。
神は人の心の中に入るのに、条件を人に要求しない。
悪魔は人の心の中に入るのに、代償を奪っていく。
神は人の幸福を願って、人の心を叩き続ける。
悪魔は人の破滅を願って、人の頭の奥にささやき続ける。
ごめんなさい。
359 おてがみ
最近、一人の神学生が、
中高生に向けた礼拝メッセージの中で、この曲を歌ったそうだ。
どんなメッセージだったのか、見せてもらわなかったので知らないが。。
でも、彼は3ヶ月前からこのメッセージをあたため、
ピアノではなく、ギターの弾き語りを練習していた。
きっと、中高生にメッセージが届いたと思う。
かくいうてでも、中高生キャンプのスタッフを10年続けている。。
(ひゃ~。。10年かよ。。自分でショック。。)
自分が、中高生だった時に助けてもらったキャンプ。
神様を紹介してもらったキャンプ。
そのキャンプで、今の中高生と接しながら、神様を紹介している。
いろんな、本当にいろんな子が来る。
面白いし、カッコいいし、かわいいし、みんな大好きだ。
そんなみんなも悩んで、苦しんで、それを誰にも打ち明けられずに生きている。
彼らの心には多くの葛藤があるし、
みんな自分を持ってるから、それにやたらめったら触れてほしくないし、
でも、一瞬、心に触れたとき、
その瞬間に、てでは泣きそうになる。。
真剣に「ああ、神様。。」と言わずにいられなくなる。
歌の中では、「自分の声を信じて」と歌っているが、
てでは、「神様の声を信じて」と歌いたい。
「人が一人でいる事は良くない。」
神様はそう言って、男と女とを創った。
なぜ、一人では良くないのだろう?
一人では、愛せないからだ。
愛されないからではない、愛せないからだ。
人は、愛を実践するために2人以上になった。
神様から存分に愛を受け、人に返してゆく。
愛こそが、神様がこの世界を正しい方向に導くための要素だからだ。
そのメッセージを今の中高生に送りたい。
今度のキャンプも楽しみです。
キャンプの前にも会うだろうけれど。。
The Lord God said,
"It is not good for the man to be alone.
I will make a helper suitable for him."
Genesis 2:18