サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
328 なんつうこった!
修養会の準備に追われてます。
気付いたらこんな時間かい!?
いたい。。
明日、礼拝ってのがまた痛い。。
そういえば、気付いたら手元に三線無い。。
FMTC前は、一生懸命練習してたのに。
三線練習したいな~。
のんびりしたいな~。。
あ、宿題思い出した。。
ぐは。。
本読まなきゃ~。。
なんか、ミシシッピの時と同じ事やってるよ。。
読書辛い。。
そういえば、陸上男子100m決勝はどうなったのだろう?
世界最速男は誰になったんだろう?
まあ、明日になれば分かるだろう。。
気付いたらこんな時間かい!?
いたい。。
明日、礼拝ってのがまた痛い。。
そういえば、気付いたら手元に三線無い。。
FMTC前は、一生懸命練習してたのに。
三線練習したいな~。
のんびりしたいな~。。
あ、宿題思い出した。。
ぐは。。
本読まなきゃ~。。
なんか、ミシシッピの時と同じ事やってるよ。。
読書辛い。。
そういえば、陸上男子100m決勝はどうなったのだろう?
世界最速男は誰になったんだろう?
まあ、明日になれば分かるだろう。。
PR
327 無題
今日、老人ホーム集会でお話してきました。
以下、その原稿です。
また再来週、べつの老人ホームで同じ話をします。。
小道具:透明のコップと、水
---
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。
ヨハネ4:14
水の入っていないコップは役に立ちません。
水が入っていると誰かに水を飲ませてあげることができます。
コップは自分で水を出す事はできません。
コップに水を入れるには、誰かが水を持ってきて入れてあげないといけません。
私たちをコップに例えるなら、私たちは「愛」を入れておくコップです。
私たちの中に「愛」がたくさん入ってると、私たちはとてもうれしいです。
友達とおしゃべりしたり、家族が尋ねてきてくれたりしたらすごくうれしいです。
アメ玉一個もらっただけでもうれしくなったりします。
逆に空っぽだと私たちはさみしいです。
孤独を感じたり、寝込んでしまったり、部屋から出たくなくなったりします。
ボクも高校生の時はそうでした。
ボクのコップは空っぽだったんです。
空っぽだと意識してたわけではないですけど、空っぽだったんだと思います。
学校に行けば同級生はいました。家に帰れば家族もいました。
でも、うまく自分を表現できなかったし、誰にも分かってもらえないんじゃないかと思って、心からおしゃべりすることができませんでした。
ボクは空っぽでした。
ボクは確かにそこに存在していましたけど、空っぽだったので、自分が空気になっちゃったような気がしました。
そんな時、神様はボクに聖書の御言葉を通して、「愛」を注いでくれました。
ボクは空っぽじゃなくなりました。
ボクにはボクのコップが空っぽじゃなくなったと感じたわけではありませんが、少なくとも空気じゃなかったと思いました。
ボクを好きだ!と言ってくれる方がいる。それだけでうれしくなりました。
神様はボクの話をぜ~んぶ聞いてくれました。
だまって、「それはダメ!」とか、「あんたワガママね!」とも言わずに、神様は黙って聞いてくれました。
しかも、神様は「いつでも話していいよ。私と話す方法を教えてあげるから。」と教えてくれました。
お祈りです。お祈りっていつでもどこでもできるんですよ。
電話番号知ってる友達でも、たまに電話に出られなかったりしますけど、
神様はいつでも「はいは~い。神様です。元気?」と応えてくれます。
神様がお祈りの仕方を教えてくれたので、
いつでもボクのコップが空っぽの時は、神様のところへ行けば神様がボクのコップに「愛」をたくさん注いでくれます。
辛い時や悲しい時、神様にお祈りしました。
うれしい時も神様にお祈りしました。
ボクは少しずつ変わっていきました。
今日は教会の人、たくさん来てますが、みんなに訊くとボクがどれくらい変わったかを教えてくれると思います。
これはボクだけじゃありません。
誰でも神様にお祈りできますし、神様はみなさんのことも「好き!」と言ってくれます。
神様とどうぞ友達になってください。
若い人は、携帯電話でメールでやり取りできる友達の事を「メル友」なんていいますが、
どうぞ、みなさんも神様とお祈りする友達、「いの友」になってください。
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
ピリピ4:6,7
以下、その原稿です。
また再来週、べつの老人ホームで同じ話をします。。
小道具:透明のコップと、水
---
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。
ヨハネ4:14
水の入っていないコップは役に立ちません。
水が入っていると誰かに水を飲ませてあげることができます。
コップは自分で水を出す事はできません。
コップに水を入れるには、誰かが水を持ってきて入れてあげないといけません。
私たちをコップに例えるなら、私たちは「愛」を入れておくコップです。
私たちの中に「愛」がたくさん入ってると、私たちはとてもうれしいです。
友達とおしゃべりしたり、家族が尋ねてきてくれたりしたらすごくうれしいです。
アメ玉一個もらっただけでもうれしくなったりします。
逆に空っぽだと私たちはさみしいです。
孤独を感じたり、寝込んでしまったり、部屋から出たくなくなったりします。
ボクも高校生の時はそうでした。
ボクのコップは空っぽだったんです。
空っぽだと意識してたわけではないですけど、空っぽだったんだと思います。
学校に行けば同級生はいました。家に帰れば家族もいました。
でも、うまく自分を表現できなかったし、誰にも分かってもらえないんじゃないかと思って、心からおしゃべりすることができませんでした。
ボクは空っぽでした。
ボクは確かにそこに存在していましたけど、空っぽだったので、自分が空気になっちゃったような気がしました。
そんな時、神様はボクに聖書の御言葉を通して、「愛」を注いでくれました。
ボクは空っぽじゃなくなりました。
ボクにはボクのコップが空っぽじゃなくなったと感じたわけではありませんが、少なくとも空気じゃなかったと思いました。
ボクを好きだ!と言ってくれる方がいる。それだけでうれしくなりました。
神様はボクの話をぜ~んぶ聞いてくれました。
だまって、「それはダメ!」とか、「あんたワガママね!」とも言わずに、神様は黙って聞いてくれました。
しかも、神様は「いつでも話していいよ。私と話す方法を教えてあげるから。」と教えてくれました。
お祈りです。お祈りっていつでもどこでもできるんですよ。
電話番号知ってる友達でも、たまに電話に出られなかったりしますけど、
神様はいつでも「はいは~い。神様です。元気?」と応えてくれます。
神様がお祈りの仕方を教えてくれたので、
いつでもボクのコップが空っぽの時は、神様のところへ行けば神様がボクのコップに「愛」をたくさん注いでくれます。
辛い時や悲しい時、神様にお祈りしました。
うれしい時も神様にお祈りしました。
ボクは少しずつ変わっていきました。
今日は教会の人、たくさん来てますが、みんなに訊くとボクがどれくらい変わったかを教えてくれると思います。
これはボクだけじゃありません。
誰でも神様にお祈りできますし、神様はみなさんのことも「好き!」と言ってくれます。
神様とどうぞ友達になってください。
若い人は、携帯電話でメールでやり取りできる友達の事を「メル友」なんていいますが、
どうぞ、みなさんも神様とお祈りする友達、「いの友」になってください。
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
ピリピ4:6,7
326 暮らし方自分流
を極めましょう。
今日はインマヌエルの教団の中高生・青年キャンプ最終日でした。
いや、良かった。
部分参加ばかりで、あまりたくさんの人と交われなかったけれど、
いろいろな人と分かち合いすることができたし、
いい説教も聞けて感謝です。
午後、教会に帰って来て、
一人だったので、やりたい放題で明日の老人ホーム集会のお話を考えてました。
好きなコーヒーを飲み、
Jazzを流しつつ、
ちょっと暗めのお部屋でのびのび聖書を読んで。。
やりながら、
「あ、これって将来やりたい教会地下喫茶の雰囲気かも。。」
とか自己満の世界にひたり。。
ちなみにダンダン妄想は沸いてて、
教会地下喫茶の名前はもう考えてあったり、
お部屋の作りとかなんかも考えてたり。。
「マムレの木の下」ってお店で、部屋の中央に大きな木の幹部分のデザインをおいて、
間接照明で、ちょっと暗め。
一段上がったステージが角にあって、一応生演奏できるようにしてあって、
カウンターの席の後ろには透明のスクリーンを置いて、
生演奏してても、カウンター席はちょっと静か目でお話ができるようにしてあったり、
とか。。
できるかできないか分かんなくても、考える事に意義あり。
自分流で生活しませう。。
今日はインマヌエルの教団の中高生・青年キャンプ最終日でした。
いや、良かった。
部分参加ばかりで、あまりたくさんの人と交われなかったけれど、
いろいろな人と分かち合いすることができたし、
いい説教も聞けて感謝です。
午後、教会に帰って来て、
一人だったので、やりたい放題で明日の老人ホーム集会のお話を考えてました。
好きなコーヒーを飲み、
Jazzを流しつつ、
ちょっと暗めのお部屋でのびのび聖書を読んで。。
やりながら、
「あ、これって将来やりたい教会地下喫茶の雰囲気かも。。」
とか自己満の世界にひたり。。
ちなみにダンダン妄想は沸いてて、
教会地下喫茶の名前はもう考えてあったり、
お部屋の作りとかなんかも考えてたり。。
「マムレの木の下」ってお店で、部屋の中央に大きな木の幹部分のデザインをおいて、
間接照明で、ちょっと暗め。
一段上がったステージが角にあって、一応生演奏できるようにしてあって、
カウンターの席の後ろには透明のスクリーンを置いて、
生演奏してても、カウンター席はちょっと静か目でお話ができるようにしてあったり、
とか。。
できるかできないか分かんなくても、考える事に意義あり。
自分流で生活しませう。。