サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
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327 無題
今日、老人ホーム集会でお話してきました。
以下、その原稿です。
また再来週、べつの老人ホームで同じ話をします。。
小道具:透明のコップと、水
---
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。
ヨハネ4:14
水の入っていないコップは役に立ちません。
水が入っていると誰かに水を飲ませてあげることができます。
コップは自分で水を出す事はできません。
コップに水を入れるには、誰かが水を持ってきて入れてあげないといけません。
私たちをコップに例えるなら、私たちは「愛」を入れておくコップです。
私たちの中に「愛」がたくさん入ってると、私たちはとてもうれしいです。
友達とおしゃべりしたり、家族が尋ねてきてくれたりしたらすごくうれしいです。
アメ玉一個もらっただけでもうれしくなったりします。
逆に空っぽだと私たちはさみしいです。
孤独を感じたり、寝込んでしまったり、部屋から出たくなくなったりします。
ボクも高校生の時はそうでした。
ボクのコップは空っぽだったんです。
空っぽだと意識してたわけではないですけど、空っぽだったんだと思います。
学校に行けば同級生はいました。家に帰れば家族もいました。
でも、うまく自分を表現できなかったし、誰にも分かってもらえないんじゃないかと思って、心からおしゃべりすることができませんでした。
ボクは空っぽでした。
ボクは確かにそこに存在していましたけど、空っぽだったので、自分が空気になっちゃったような気がしました。
そんな時、神様はボクに聖書の御言葉を通して、「愛」を注いでくれました。
ボクは空っぽじゃなくなりました。
ボクにはボクのコップが空っぽじゃなくなったと感じたわけではありませんが、少なくとも空気じゃなかったと思いました。
ボクを好きだ!と言ってくれる方がいる。それだけでうれしくなりました。
神様はボクの話をぜ~んぶ聞いてくれました。
だまって、「それはダメ!」とか、「あんたワガママね!」とも言わずに、神様は黙って聞いてくれました。
しかも、神様は「いつでも話していいよ。私と話す方法を教えてあげるから。」と教えてくれました。
お祈りです。お祈りっていつでもどこでもできるんですよ。
電話番号知ってる友達でも、たまに電話に出られなかったりしますけど、
神様はいつでも「はいは~い。神様です。元気?」と応えてくれます。
神様がお祈りの仕方を教えてくれたので、
いつでもボクのコップが空っぽの時は、神様のところへ行けば神様がボクのコップに「愛」をたくさん注いでくれます。
辛い時や悲しい時、神様にお祈りしました。
うれしい時も神様にお祈りしました。
ボクは少しずつ変わっていきました。
今日は教会の人、たくさん来てますが、みんなに訊くとボクがどれくらい変わったかを教えてくれると思います。
これはボクだけじゃありません。
誰でも神様にお祈りできますし、神様はみなさんのことも「好き!」と言ってくれます。
神様とどうぞ友達になってください。
若い人は、携帯電話でメールでやり取りできる友達の事を「メル友」なんていいますが、
どうぞ、みなさんも神様とお祈りする友達、「いの友」になってください。
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
ピリピ4:6,7
以下、その原稿です。
また再来週、べつの老人ホームで同じ話をします。。
小道具:透明のコップと、水
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しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。
ヨハネ4:14
水の入っていないコップは役に立ちません。
水が入っていると誰かに水を飲ませてあげることができます。
コップは自分で水を出す事はできません。
コップに水を入れるには、誰かが水を持ってきて入れてあげないといけません。
私たちをコップに例えるなら、私たちは「愛」を入れておくコップです。
私たちの中に「愛」がたくさん入ってると、私たちはとてもうれしいです。
友達とおしゃべりしたり、家族が尋ねてきてくれたりしたらすごくうれしいです。
アメ玉一個もらっただけでもうれしくなったりします。
逆に空っぽだと私たちはさみしいです。
孤独を感じたり、寝込んでしまったり、部屋から出たくなくなったりします。
ボクも高校生の時はそうでした。
ボクのコップは空っぽだったんです。
空っぽだと意識してたわけではないですけど、空っぽだったんだと思います。
学校に行けば同級生はいました。家に帰れば家族もいました。
でも、うまく自分を表現できなかったし、誰にも分かってもらえないんじゃないかと思って、心からおしゃべりすることができませんでした。
ボクは空っぽでした。
ボクは確かにそこに存在していましたけど、空っぽだったので、自分が空気になっちゃったような気がしました。
そんな時、神様はボクに聖書の御言葉を通して、「愛」を注いでくれました。
ボクは空っぽじゃなくなりました。
ボクにはボクのコップが空っぽじゃなくなったと感じたわけではありませんが、少なくとも空気じゃなかったと思いました。
ボクを好きだ!と言ってくれる方がいる。それだけでうれしくなりました。
神様はボクの話をぜ~んぶ聞いてくれました。
だまって、「それはダメ!」とか、「あんたワガママね!」とも言わずに、神様は黙って聞いてくれました。
しかも、神様は「いつでも話していいよ。私と話す方法を教えてあげるから。」と教えてくれました。
お祈りです。お祈りっていつでもどこでもできるんですよ。
電話番号知ってる友達でも、たまに電話に出られなかったりしますけど、
神様はいつでも「はいは~い。神様です。元気?」と応えてくれます。
神様がお祈りの仕方を教えてくれたので、
いつでもボクのコップが空っぽの時は、神様のところへ行けば神様がボクのコップに「愛」をたくさん注いでくれます。
辛い時や悲しい時、神様にお祈りしました。
うれしい時も神様にお祈りしました。
ボクは少しずつ変わっていきました。
今日は教会の人、たくさん来てますが、みんなに訊くとボクがどれくらい変わったかを教えてくれると思います。
これはボクだけじゃありません。
誰でも神様にお祈りできますし、神様はみなさんのことも「好き!」と言ってくれます。
神様とどうぞ友達になってください。
若い人は、携帯電話でメールでやり取りできる友達の事を「メル友」なんていいますが、
どうぞ、みなさんも神様とお祈りする友達、「いの友」になってください。
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
ピリピ4:6,7
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