サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
284 バラクとバラム
聖書を一度は読んだことあるはずなのに、
アメリカに行くまでこんな話があるなんて知らなかった。。
モーセ五書の授業をとっているときに、
このバラクとバラムの話を知った。
こんなおもしろい、まんがみたいな。。話があったなんて。。
という感じだった。。
民数記の22~24章にあるこのお話はすごくおもしろい。。
てでのお気に入りになりました。
イスラエルの民が荒野をさまよい、約束の地であるカナンへ行く途中、
神様がイスラエルの民と共におられたので、
イスラエルは快進撃を続けていた。
それを脅威に思ったモアブの王バラクは、
その人が祝福した人は必ず祝福を受け、
その人がのろった人は必ずのろわれるという一人の占い師バラムに、
「イスラエルの民をのろってほしい」とお願いする。
バラムは「私は私の神、主がお語りになることをあなたがたに告げるだけです。」
と応え、一度はバラクの願いを断る。
2回目にバラクがお願いしたとき、神様に「行け」といわれ、バラクの元へいく。
バラムはろばに乗って、バラクの元へ出発する。
途中、道の真ん中に抜き身の剣を持った御使いが現れ、
ろばは道を外れる。
御使いが見えないバラムは、ろばをむち打って道にもどす。
再び、御使いが現れるとろばはまた道を外れ、石垣にバラムがぶつかる。
バラムはまたろばをむち打って道に戻す。
3度目に御使いが現れると、ろばは避ける道がないので、その場に座りこんでしまう。
バラムはまたろばをむち打つ。
すると、ろばが口をきく。
「なんで、ぶつの?」
「お前が言うことを聞かないからだ。」
「私は何年もあなたをずっと背中に乗せてきたじゃないですか。
私があなたに逆らったことが今までにありました?」
「いや、なかった。」
すると、バラムの目が開かれ、道に立ちふさって、今にも切りかかってきそうな御使いが見えた。
バラムには、なぜ御使いが見えなかったのだろう??
それが今日のディボーションだった。
てではこの話、おもしろいと思ってたけど、
なぜバラムには御使いが見えなかったのか、考えてなかった。
この後、バラムは「罪を犯しました。」と宣言している。
バラムの罪はなんだったんだろう?
御使いが見えなかった事が罪なの??
そうではない。
ディボーションブックには、バラムは欲にかられたと書いてあった。
聖書にはバラムが自分の欲望のためにバラクのところへ行こうとした。とは書いてない。
けれど、もしかしたらそうかもしれない。
聖書によると、神様がバラムに、「バラクのところへ行け。」とい言われたので、
バラムは出かけたことになっている。
でも、その道中、バラムがこう考えても不思議ではない。
「神様はバラクのもとへ行けと言った。
神様はイスラエルをのろうのだろうか?
そうしたら、私はモアブの王から報酬をたくさんもらえるかもしれない。」
これはあくまで、てでの想像だけど。。
でも、人間って神様の導きを勝手に解釈する危険性がいつもあると思う。
でも気をつけなければいけない。
神様はただ、「行け。」と言われただけなのだ。
「のろいに行け。」とは言ってない。
神様の目的は、イスラエルを祝福し、周辺諸国に
「主は唯一の全能の神である。」という事を知らせるためにバラムを遣わされた。
それを間違って解釈すると、
本当の目的が見えなくなり、御使いが見えなくなってしまったのかもしれない。
バラムの罪はバラム自身がよく知っていた。
だから、バラムは罪を告白した。
そして、神様はこの事を通して、神様の意志に従うということはどういう事か、
バラムにしっかり教えたのかもしれない。
だからバラムは、周りがモアブ人ばかりの場所で、
3度もイスラエルを祝福し、モアブのみならず周辺諸国までのろうという、
神様の言葉を勇気を持って語ることができたのだろう。
てでもいつも神様の本当の目的が見えるように、
心の目が開かれてしっかり自分の道が見えるように祈りたい。
それから、てでの目がしっかり開かれることで、他の人もしっかり導くことができるようになりたい。
てでが見えないのに、導いたら、みんなして地獄へ落ちてしまう。。
神様、私達の目を開いて下さい。
私の為に、私の周りの人のために。。
アメリカに行くまでこんな話があるなんて知らなかった。。
モーセ五書の授業をとっているときに、
このバラクとバラムの話を知った。
こんなおもしろい、まんがみたいな。。話があったなんて。。
という感じだった。。
民数記の22~24章にあるこのお話はすごくおもしろい。。
てでのお気に入りになりました。
イスラエルの民が荒野をさまよい、約束の地であるカナンへ行く途中、
神様がイスラエルの民と共におられたので、
イスラエルは快進撃を続けていた。
それを脅威に思ったモアブの王バラクは、
その人が祝福した人は必ず祝福を受け、
その人がのろった人は必ずのろわれるという一人の占い師バラムに、
「イスラエルの民をのろってほしい」とお願いする。
バラムは「私は私の神、主がお語りになることをあなたがたに告げるだけです。」
と応え、一度はバラクの願いを断る。
2回目にバラクがお願いしたとき、神様に「行け」といわれ、バラクの元へいく。
バラムはろばに乗って、バラクの元へ出発する。
途中、道の真ん中に抜き身の剣を持った御使いが現れ、
ろばは道を外れる。
御使いが見えないバラムは、ろばをむち打って道にもどす。
再び、御使いが現れるとろばはまた道を外れ、石垣にバラムがぶつかる。
バラムはまたろばをむち打って道に戻す。
3度目に御使いが現れると、ろばは避ける道がないので、その場に座りこんでしまう。
バラムはまたろばをむち打つ。
すると、ろばが口をきく。
「なんで、ぶつの?」
「お前が言うことを聞かないからだ。」
「私は何年もあなたをずっと背中に乗せてきたじゃないですか。
私があなたに逆らったことが今までにありました?」
「いや、なかった。」
すると、バラムの目が開かれ、道に立ちふさって、今にも切りかかってきそうな御使いが見えた。
バラムには、なぜ御使いが見えなかったのだろう??
それが今日のディボーションだった。
てではこの話、おもしろいと思ってたけど、
なぜバラムには御使いが見えなかったのか、考えてなかった。
この後、バラムは「罪を犯しました。」と宣言している。
バラムの罪はなんだったんだろう?
御使いが見えなかった事が罪なの??
そうではない。
ディボーションブックには、バラムは欲にかられたと書いてあった。
聖書にはバラムが自分の欲望のためにバラクのところへ行こうとした。とは書いてない。
けれど、もしかしたらそうかもしれない。
聖書によると、神様がバラムに、「バラクのところへ行け。」とい言われたので、
バラムは出かけたことになっている。
でも、その道中、バラムがこう考えても不思議ではない。
「神様はバラクのもとへ行けと言った。
神様はイスラエルをのろうのだろうか?
そうしたら、私はモアブの王から報酬をたくさんもらえるかもしれない。」
これはあくまで、てでの想像だけど。。
でも、人間って神様の導きを勝手に解釈する危険性がいつもあると思う。
でも気をつけなければいけない。
神様はただ、「行け。」と言われただけなのだ。
「のろいに行け。」とは言ってない。
神様の目的は、イスラエルを祝福し、周辺諸国に
「主は唯一の全能の神である。」という事を知らせるためにバラムを遣わされた。
それを間違って解釈すると、
本当の目的が見えなくなり、御使いが見えなくなってしまったのかもしれない。
バラムの罪はバラム自身がよく知っていた。
だから、バラムは罪を告白した。
そして、神様はこの事を通して、神様の意志に従うということはどういう事か、
バラムにしっかり教えたのかもしれない。
だからバラムは、周りがモアブ人ばかりの場所で、
3度もイスラエルを祝福し、モアブのみならず周辺諸国までのろうという、
神様の言葉を勇気を持って語ることができたのだろう。
てでもいつも神様の本当の目的が見えるように、
心の目が開かれてしっかり自分の道が見えるように祈りたい。
それから、てでの目がしっかり開かれることで、他の人もしっかり導くことができるようになりたい。
てでが見えないのに、導いたら、みんなして地獄へ落ちてしまう。。
神様、私達の目を開いて下さい。
私の為に、私の周りの人のために。。
PR
この記事にコメントする
無題
アメリカに行く前に献身のことを一緒に話したときに
Tくんが言ってたんだ。
ぼくはどうでもいいから、まわりの人を助けたいって。
それを聞いたときからずっと祈っていました。
Tくんは本当にアメリカに来てよかったね。
自分の信仰をはっきり持って
今を神様のために、人のために生きていることが
わかります。
日本は仁義の世界でもあるから
人のためというたてまえがあるかもしれないね。
今日も授業でやったけど、
いいクリスチャンを育てるのじゃない。
神様のために生きていけるクリスチャンを育てるんだって。
主にあって、主に動かされ、主に導かれていくことを
目的とできるように、従っていこう。
ここがね、西洋と東洋、オーソドックスとカトリック、アウグスティヌスとペラギウスを分けたところだと思うんだ。とても大切なコンセプトですな。
主に全ての権威を見つけ、そしてその愛の権威に“動かされる”。。
これがバランスだと感じています。
未だに東洋西洋戦争真っ只中な中村でした。。。
Tくんが言ってたんだ。
ぼくはどうでもいいから、まわりの人を助けたいって。
それを聞いたときからずっと祈っていました。
Tくんは本当にアメリカに来てよかったね。
自分の信仰をはっきり持って
今を神様のために、人のために生きていることが
わかります。
日本は仁義の世界でもあるから
人のためというたてまえがあるかもしれないね。
今日も授業でやったけど、
いいクリスチャンを育てるのじゃない。
神様のために生きていけるクリスチャンを育てるんだって。
主にあって、主に動かされ、主に導かれていくことを
目的とできるように、従っていこう。
ここがね、西洋と東洋、オーソドックスとカトリック、アウグスティヌスとペラギウスを分けたところだと思うんだ。とても大切なコンセプトですな。
主に全ての権威を見つけ、そしてその愛の権威に“動かされる”。。
これがバランスだと感じています。
未だに東洋西洋戦争真っ只中な中村でした。。。