サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
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仕事をしてた頃は、電車で出かけることはいつでもできることだった。
定期は渋谷まであったので、
わりと遠くまで自由に好きな時に出かけることができた。
今は定期が無いので、電車を敬遠している。。
まあ、特に必要にせまられるものもないので不自由には思ってないのだけど。。
ただ一つ困ったことに、
アメリカと違い、日本では近くの本屋さんで気軽に信仰書をみることはできない。。
キリスト教書店は一番近くても立川だ。
自転車で行くには相当な覚悟が必要だ。。
電車なら30分の距離だが。。
まえふりが長くなったが、要は何が言いたいかと言うと、
先日ひさしぶりにそのキリスト教書店へ行ってきたのだ。
立川へ行く用があったので、ここぞとばかりに行ってきた。
目的は聖書注解をゲットすること。
6月までなら安いらしい。
これを逃す手はない。はっはっは。
まずその注解書を手に取り、
ちょっと前から友達にいい旧約の解説本みたいのないか?ときかれていたので、
探してみた。。
もともと、本を読むのが嫌いなてでが、
いい本ない?ときかれて、ああ、これはどお?とか、すぐ出るわけがない。。
とりあえず、本屋を歩き回ってたら、
三浦綾子さんが書いた、「旧約聖書入門」という本を見つけた。
へ~!と思った。
とても恥ずかしい限りだけど、てでは三浦綾子さんの本を一つも読んだことがない。
まあ、読書嫌いがこれで証明されるわけだが。。
てでのイメージとしては三浦綾子さんは物語を書く人って感じで、
注解書のようなものを書くイメージが無かったんだけど、
これはもしかしたらいい本かもと思って買ってみた。
文庫本だから、安く手に入るし。
んで、今日、ちょっと読んでみたんだけど、
結構しっかり書いてある。
旧約全体を網羅しているわけではないが、
各トピックは深い所まで掘り下げているように思った。
なにより、専門用語みたいのがあまり無くて読みやすいし。
というわけで、その友達にこの場を借りてオススメするんですが。。
どうぞ。。
その中の一つ。
なぜ人間に自由意志が与えられたのか?
もし神がいるなら、なんで人間に自由意志を与えたのか?
神に背くかもしれない。愛を実践しないかもしれない。
そう知っていたはずなのに。
きっとみんな一度は持った疑問だと思う。
てでは、この事はずっとひっかかってた。
7,8年前に、てでの弟が口にしたこの疑問に100%納得のいく答えが
周りに無かったから。。
最近、ふとこう感じた。
神様は完全な愛を共有したかったんじゃないか?
それと同じようなことが書いてあったのでちょっとうれしかった。
愛は自由のないところからは生まれない。
強制されて人を愛することは誰にもできないからだ。
「俺を好きになれ~」「何も言うな~」「黙って俺についてこい~」
は映画だったらカッコいいかもね。。
相手がすごくカッコよくて、頼りになって、好きになれるならば、
このセリフを言われて、「はい。あなたを愛します。」とも言えるだろう。
でも、前提条件がいくつもこの場合はある。
「相手がすごくカッコよくて~うんぬん」という厳しいハードルを乗り越えた時、
初めて愛せるのだ。
さらに言うなら、ここにもやっぱり意志の表れがある。
「はい。あなたを愛します。」という言葉は自由でなければ出てこない言葉だ。
この意志のこもった応答の言葉が無ければ、やっぱり愛とはいえない。。
ただの監禁だ。。
神は愛なり。
と言うならば、神様は愛を共有しようとするだろう。
自由意志とは神様が愛を誰かと共有したいと思ったとき、
最高の方法だったんだ。
苦渋の決断ではないだろうな。。
最高の方法だった。
神様はこの愛の力なら、サタンに絶対勝てると知ってた。
だから自信をもって、人間に自由意志を与え、神様の愛を絶えず注ぎ続けてる。
それに人間が気付いて応答をするとき、
完全なる愛が生まれるんだと思う。
定期は渋谷まであったので、
わりと遠くまで自由に好きな時に出かけることができた。
今は定期が無いので、電車を敬遠している。。
まあ、特に必要にせまられるものもないので不自由には思ってないのだけど。。
ただ一つ困ったことに、
アメリカと違い、日本では近くの本屋さんで気軽に信仰書をみることはできない。。
キリスト教書店は一番近くても立川だ。
自転車で行くには相当な覚悟が必要だ。。
電車なら30分の距離だが。。
まえふりが長くなったが、要は何が言いたいかと言うと、
先日ひさしぶりにそのキリスト教書店へ行ってきたのだ。
立川へ行く用があったので、ここぞとばかりに行ってきた。
目的は聖書注解をゲットすること。
6月までなら安いらしい。
これを逃す手はない。はっはっは。
まずその注解書を手に取り、
ちょっと前から友達にいい旧約の解説本みたいのないか?ときかれていたので、
探してみた。。
もともと、本を読むのが嫌いなてでが、
いい本ない?ときかれて、ああ、これはどお?とか、すぐ出るわけがない。。
とりあえず、本屋を歩き回ってたら、
三浦綾子さんが書いた、「旧約聖書入門」という本を見つけた。
へ~!と思った。
とても恥ずかしい限りだけど、てでは三浦綾子さんの本を一つも読んだことがない。
まあ、読書嫌いがこれで証明されるわけだが。。
てでのイメージとしては三浦綾子さんは物語を書く人って感じで、
注解書のようなものを書くイメージが無かったんだけど、
これはもしかしたらいい本かもと思って買ってみた。
文庫本だから、安く手に入るし。
んで、今日、ちょっと読んでみたんだけど、
結構しっかり書いてある。
旧約全体を網羅しているわけではないが、
各トピックは深い所まで掘り下げているように思った。
なにより、専門用語みたいのがあまり無くて読みやすいし。
というわけで、その友達にこの場を借りてオススメするんですが。。
どうぞ。。
その中の一つ。
なぜ人間に自由意志が与えられたのか?
もし神がいるなら、なんで人間に自由意志を与えたのか?
神に背くかもしれない。愛を実践しないかもしれない。
そう知っていたはずなのに。
きっとみんな一度は持った疑問だと思う。
てでは、この事はずっとひっかかってた。
7,8年前に、てでの弟が口にしたこの疑問に100%納得のいく答えが
周りに無かったから。。
最近、ふとこう感じた。
神様は完全な愛を共有したかったんじゃないか?
それと同じようなことが書いてあったのでちょっとうれしかった。
愛は自由のないところからは生まれない。
強制されて人を愛することは誰にもできないからだ。
「俺を好きになれ~」「何も言うな~」「黙って俺についてこい~」
は映画だったらカッコいいかもね。。
相手がすごくカッコよくて、頼りになって、好きになれるならば、
このセリフを言われて、「はい。あなたを愛します。」とも言えるだろう。
でも、前提条件がいくつもこの場合はある。
「相手がすごくカッコよくて~うんぬん」という厳しいハードルを乗り越えた時、
初めて愛せるのだ。
さらに言うなら、ここにもやっぱり意志の表れがある。
「はい。あなたを愛します。」という言葉は自由でなければ出てこない言葉だ。
この意志のこもった応答の言葉が無ければ、やっぱり愛とはいえない。。
ただの監禁だ。。
神は愛なり。
と言うならば、神様は愛を共有しようとするだろう。
自由意志とは神様が愛を誰かと共有したいと思ったとき、
最高の方法だったんだ。
苦渋の決断ではないだろうな。。
最高の方法だった。
神様はこの愛の力なら、サタンに絶対勝てると知ってた。
だから自信をもって、人間に自由意志を与え、神様の愛を絶えず注ぎ続けてる。
それに人間が気付いて応答をするとき、
完全なる愛が生まれるんだと思う。
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