サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
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304 パパさんとママさんとボックンと
パパが2,3才の男の子を肩車してる。
片方の手で男の子を押さえながら、
もう片方の手でママを肩に抱いてる。
親子3人仲良く歩いてる。。
いつまでも見ていたいと思った。。
「愛って何だろう??」
高校の部活の先輩はこれをよく口にして、
変なやつと言われてた。
「何かを犠牲にしなければ、愛を出せない。
だから、愛し続けることはとても難しい。」
と人は言う。
そこまでは正論だと思う。
幸せでなければ、
余裕がなければ、
愛せない。というのも納得がいく。
だけど、私たちは知っている。
己を犠牲にして無限に愛を注ぎだせる方を。
その方は愛だから。
その方をこの身に帯びること。
それが私たちが愛に生きつづける唯一の方法。
そこには自分の力でなくていい、
自分の忍耐でなくていい、
疲れないで愛を出し続ける方法がある。
自分の中の愛が無くなって空になっても、
さらにまた愛を注ぎ続けてくださる方が、
「神は私たちとともにおられる」という名の方が、
私たちの手をとって共に歩いてくださる。
私たちはそのことを知っている。
片方の手で男の子を押さえながら、
もう片方の手でママを肩に抱いてる。
親子3人仲良く歩いてる。。
いつまでも見ていたいと思った。。
「愛って何だろう??」
高校の部活の先輩はこれをよく口にして、
変なやつと言われてた。
「何かを犠牲にしなければ、愛を出せない。
だから、愛し続けることはとても難しい。」
と人は言う。
そこまでは正論だと思う。
幸せでなければ、
余裕がなければ、
愛せない。というのも納得がいく。
だけど、私たちは知っている。
己を犠牲にして無限に愛を注ぎだせる方を。
その方は愛だから。
その方をこの身に帯びること。
それが私たちが愛に生きつづける唯一の方法。
そこには自分の力でなくていい、
自分の忍耐でなくていい、
疲れないで愛を出し続ける方法がある。
自分の中の愛が無くなって空になっても、
さらにまた愛を注ぎ続けてくださる方が、
「神は私たちとともにおられる」という名の方が、
私たちの手をとって共に歩いてくださる。
私たちはそのことを知っている。
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