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サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
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神童。
映画やってますね。
観てないけど。。
映画とは、全然関係ない日記。。
昨日まで行ってたキャンプとも全然関係ない日記。。
すみませんね。。

神童。
広辞苑によると、
「才知のきわめてすぐれた児童。」
児童だから、年齢から見て、”子供”の事。

歴史上、または、ちまたのニュースでも、
神童ともてはやされた子供はたくさんいた。
彼らが大人になってどうなったか、それは分からない。
あるいは、”天才”になった人もいる。

天才。
広辞苑によると、
「天性の才能。生まれつき備わったすぐれた才能。また、そういう才能をもっている人。」
天が与えた才能。他の人には無い才能。

逆に、
神童とか、”もてはやす人”はどういう気持ちで「神童」と他人を呼ぶのだろう。
自分には、無いものとか、うらやましいとか、
そういう気持ちだろうか。。
あるいは、自分の夢を重ねてみたり、
応援したりするかもしれない。

もっかい、神童という言葉を見てみる。
「神の子」じゃないか。。
日本人の考える神は、八百万いるけれど、
てでが思うに、一つ共通しているのは、
みな、人と切り離されている者だ。
よく言えば、人の世界に囚われない者たちだ。
悪く言えば、自己中だ。。
そんな「神」から才能を与えられた「神童」は、
一度、この世界に生まれると、二度と神とコミュニケーションをはかる事なく、
この人の世界で人の社会にもまれていく。
そこにドラマがあり、最後に神とコミュニケーションをとり、
ハッピーエンドか、あるいは・・・いずれにしろ、話は終わる。

そういうお話になるのは、
理由がいくつかあるが、一つは、前にも書いた、
「人間を描くため」であろう。。
もう一つ、考えられるのが、
「神の力が制限つき」で「神が人の世界と切り離された世界の住人」
だからかもしれない。

教会に来ると、教わるのは、
「人はみな、神の子」
であること。
日本人の八百万の価値観で行くと、
「神童」である、人間は、
生まれてから、一度も神とコミュニケーションをはかる事無く、
「この世界とは・・」とか、
「人間はどこからきたのか・・」とか、
「神はいるのか・・」とか、
考えながら、最終的に神からメッセージを受けるか、
あるいは、受けたような気になって、死ぬ。
そこには、ドラマがあり、人間がキチンと描かれ、
涙そそるだろう。。
しかし、そこには、救いも無ければ、
神がいてもいなくてもまあ、いいや。みたいな、そんな感じさえする。。

でも、教会で教える神は、
コミュニケーションの神で、制限なしの神。
その価値観からすると、
人は生まれた時から、神からのメッセージを受け続け、
「この世界とは・・」とか、
「人間はどこからきたのか・・」とか、
「神はいるのか・・」とか、
考えなくても、神からの恵みを受け続け、
やがて、神からの愛を受けるか受けないか、選択して死ぬ。
死んだ後、どうなるかは、見てないから、知らない。
約束は一つ。
愛を受ければ、いつまでも生きる。
それが、制限なしで、コミュニケーションの神の子供。
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