サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
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映画「チーム・バチスタの栄光」を観た。
DVDで観た。
日曜の朝、テレビの「課外授業ようこそ先輩」で、
原作者の海堂尊が出ていた。
それを見て、映画が観たくなった。
んで、今日観た。
テレビの中で、海堂さんは、
「人間のからだを知れば、人間のすごさが分かる。
自分のすごさが分かれば、自分に自信が持てる。他人のすごさが分かる。」
というような事を言ってました。
そんな海堂さんなので、
人間を見つめて、いのちというものが何かを共に見つめる。
そういう作品になってたような気がします。
日本の医療の崩壊は、何年も前から言われている。
でも、今ひとつ現実味が無いのは、自分が健康だから。
関係無いように思える。
映画の中で、ぐちを話に来ている患者さん達が出てくる。
生死をかけて戦う患者さんの手術の合間に、
お気楽そうなぐち相談のシーンが流れる。
しかし、最後にこのシーンにいのちがある事を知る。
---
「アバター」というジェームス・キャメロンの映画がもうすぐ公開される。
この映画、宣伝を聞けば聞くほど、実験映画なんじゃなかろうか??という気がする。。
最新の3D立体映像技術、CGと実写の融合、"アバター"という設定。
新しいものずくし。
ジェームス・キャメロンのすごい所は、最先端の技術を映画でうまく使いこなす事だと思う。
てでは、"アバター"という設定にすごく興味がある。
これをどう使うのだろう??
"アバター"とは、仮想空間に自分の分身となるキャラクターを創り、
仮想空間で生活するバーチャル・リアリティーの最新スタイル。とも言うべきもの。
最近、インターネットでは、たくさん見かけるようになった。
非現実に現実をちょっぴり持ち込んで、自分を拡張する。
それがとても刺激的だ。
そこに自分の資産を投入してしまうくらい。。
今ある自分に満足していないとか、そんな大きな話じゃなくても、
ちょっと自分の幅を拡げる程度の気持ちで参加できる。
だから、それと気づかない間に結構みんなはまってる。
よ~く考えると、「あ。今自分は実体の無い物に一生懸命になっている。」と気づくけど、
まあ、気づかない事の方が多い。。
かく言うてでも、こうしてブログを書く事自体、ちょっとしたアバター遊びと言えるかもしれない。
まあ、ブログをアバターと一緒にするにしても、しないにしても、
バーチャル・リアリティーの中に、何かしら自分の拡張を期待しているのは事実だ。
---
こういう時代にあって、
バーチャル・リアリティーと現実の境目を意識する事は、とても重要とも言える。
いや、もしかしたら、そう考える事自体、もう古い考えなのかもしれない。
アバター産業は、実体がなくても、もはや立派に産業なのだ。
実体があろうがなかろうが、そこに人間の魂が向いている限り、
そこに何かしらの意味があるのだろう。
そもそも、人間の魂とは、どこにあるのか?
そういう映画も増えてきたのではないか?
今年の夏に公開された「サマーウォーズ」もアバターを扱った作品だった。
アバターとは何か?しっていようが、いまいが、
人間を人間たらしめるのは、人間同士の絆。
それが、「サマーウォーズ」のメッセージだった気がする。
もちっと前では、Ghost in the Shell とかまさにビンゴであると思う。
人間と機械の境界があいまいな近未来が舞台の作品だ。
体はほとんど機械という人間の魂は一体どこにあるのか?
答えの出ない問いを投げかけている。
---
コミュニケーションが、メディアの目的であったはず。
魂と魂。人格と人格のふれあいがコミュニケーションであるならば、
魂、いのちをないがしろにしたまま、メディアだけを一人歩きさせてはいけない。
からだを細分化し、物理現象として、心臓の鼓動を捉え、
絶対に目に見えないいのちを見ないならば、
メディアが人を殺すようになる。
メディアは手段でしかない。
それ自体にはいのちはない。
これからの時代に、いのちをちゃんと考えよう。
というわけで、
「チーム・バチスタの栄光」は良かった。
人という温かみがある映画だった。
「アバター」には注目です。
DVDで観た。
日曜の朝、テレビの「課外授業ようこそ先輩」で、
原作者の海堂尊が出ていた。
それを見て、映画が観たくなった。
んで、今日観た。
テレビの中で、海堂さんは、
「人間のからだを知れば、人間のすごさが分かる。
自分のすごさが分かれば、自分に自信が持てる。他人のすごさが分かる。」
というような事を言ってました。
そんな海堂さんなので、
人間を見つめて、いのちというものが何かを共に見つめる。
そういう作品になってたような気がします。
日本の医療の崩壊は、何年も前から言われている。
でも、今ひとつ現実味が無いのは、自分が健康だから。
関係無いように思える。
映画の中で、ぐちを話に来ている患者さん達が出てくる。
生死をかけて戦う患者さんの手術の合間に、
お気楽そうなぐち相談のシーンが流れる。
しかし、最後にこのシーンにいのちがある事を知る。
---
「アバター」というジェームス・キャメロンの映画がもうすぐ公開される。
この映画、宣伝を聞けば聞くほど、実験映画なんじゃなかろうか??という気がする。。
最新の3D立体映像技術、CGと実写の融合、"アバター"という設定。
新しいものずくし。
ジェームス・キャメロンのすごい所は、最先端の技術を映画でうまく使いこなす事だと思う。
てでは、"アバター"という設定にすごく興味がある。
これをどう使うのだろう??
"アバター"とは、仮想空間に自分の分身となるキャラクターを創り、
仮想空間で生活するバーチャル・リアリティーの最新スタイル。とも言うべきもの。
最近、インターネットでは、たくさん見かけるようになった。
非現実に現実をちょっぴり持ち込んで、自分を拡張する。
それがとても刺激的だ。
そこに自分の資産を投入してしまうくらい。。
今ある自分に満足していないとか、そんな大きな話じゃなくても、
ちょっと自分の幅を拡げる程度の気持ちで参加できる。
だから、それと気づかない間に結構みんなはまってる。
よ~く考えると、「あ。今自分は実体の無い物に一生懸命になっている。」と気づくけど、
まあ、気づかない事の方が多い。。
かく言うてでも、こうしてブログを書く事自体、ちょっとしたアバター遊びと言えるかもしれない。
まあ、ブログをアバターと一緒にするにしても、しないにしても、
バーチャル・リアリティーの中に、何かしら自分の拡張を期待しているのは事実だ。
---
こういう時代にあって、
バーチャル・リアリティーと現実の境目を意識する事は、とても重要とも言える。
いや、もしかしたら、そう考える事自体、もう古い考えなのかもしれない。
アバター産業は、実体がなくても、もはや立派に産業なのだ。
実体があろうがなかろうが、そこに人間の魂が向いている限り、
そこに何かしらの意味があるのだろう。
そもそも、人間の魂とは、どこにあるのか?
そういう映画も増えてきたのではないか?
今年の夏に公開された「サマーウォーズ」もアバターを扱った作品だった。
アバターとは何か?しっていようが、いまいが、
人間を人間たらしめるのは、人間同士の絆。
それが、「サマーウォーズ」のメッセージだった気がする。
もちっと前では、Ghost in the Shell とかまさにビンゴであると思う。
人間と機械の境界があいまいな近未来が舞台の作品だ。
体はほとんど機械という人間の魂は一体どこにあるのか?
答えの出ない問いを投げかけている。
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コミュニケーションが、メディアの目的であったはず。
魂と魂。人格と人格のふれあいがコミュニケーションであるならば、
魂、いのちをないがしろにしたまま、メディアだけを一人歩きさせてはいけない。
からだを細分化し、物理現象として、心臓の鼓動を捉え、
絶対に目に見えないいのちを見ないならば、
メディアが人を殺すようになる。
メディアは手段でしかない。
それ自体にはいのちはない。
これからの時代に、いのちをちゃんと考えよう。
というわけで、
「チーム・バチスタの栄光」は良かった。
人という温かみがある映画だった。
「アバター」には注目です。
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