サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
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26 信仰は学問?
聖書をずっと勉強し続ける事の落とし穴。
キリスト教を学問とする時に陥りやすい落とし穴。
それが聖書の信憑性を疑う事らしい。。
なんで??
と思うような話だけど、てでは、なんとなく分かる気がする。
最近勉強してて、そうなりやすいような気がしてた。
聖書の勉強してると、これはいつの年代の話か?とか、
これを書いたのは誰か?とか、
そういう話になってくる。
でも、実際、分からないことが多い。
聖書は、単なる歴史書じゃないから。
正確な年代や、ある人の記録を残す事が目的ではないから。。
あくまで、福音を述べ伝える事が目的だから。。
てでは、落とし穴に陥らないようにするには、考えなければいいんぢゃない?
と思った。。
神様は全部知ってるし、天国行けば全部分かるじゃん。
それまで、待ちましょ。みたいな。。
てでには、神様がみんなを愛していて、
イエス様の十字架で罪赦され、天国に行ってわ~い♪だけ分かればそれで十分。。
と思っていたが。。
先日のJさんの話(Jさんも学校の授業で聞いたらしいが。。)では、
”勉強し続ける事が重要”らしい。
常に前へ進み続けること。
「これだ!納得。終了。」ではなくて、さらに次のステップ、次のステップと、進み続ける事が重要らしい。
なるほど。
神様はいろんな人を通して語られるし、信仰も奥深いから、
「誰かがこう定義しました。これ以外はありません。」という風にはならないんだね。
だから、今でも、学者さん達は研究を続ける。
たった1冊の聖書を何度も何度も読み返して、日々新たに御言葉から学んでいるんだなぁ。。
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