サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
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「普通」という言葉は嫌いとかいいながら、
普通という言葉を使っている、てでです。。
今週は、
キンロー先生が、セミナリーに来ているということで、
カレッジの生徒もそちらの講義を聴きに行きました。
でも、さっぱり分からなかった~。。
英語じゃなければな~。。
惜しい事だな~。。
分からないながらも、一つ分かったことがある。
キンロー先生は、普通のおじいちゃんだ。
小浜に行った時も同じような印象を持った。
普通すぎて、拍子抜けする感じ。
でも、それで良かったと思った。
石垣に行った時に、そこの牧師先生が言ってたことを思い出した。
「私たちは、John Wesley を信じているのではない。
イエス・キリストを信じているのだ。」
って。。
まあ、その先生は、きよめ派ではないので、
僕がメソジスト教会から来たと知って、そう言ったんだけど。。
つまり、信仰の対象がブレてはいけないという事。
そして、信仰の持ち方も人それぞれという事。
そして、それはキンロー先生に対しても同じ。
そういう意味では、キンロー先生には「普通」のおじいちゃんであって、欲しいのだ。
Inductive の授業で習ったけど、
バイブルコメンタリーの記事に対して、反論してもいいそうだ。
まあ、当然と言えば当然なのだけど、
コメンタリーは、いろいろな記述が載ってて勉強になるんだけど、
鵜呑みにしてたら、やっぱ危険なわけで。
キンロー先生も神学のエキスパートだけど、
違うな。と思ったら、反論してもいいわけで。
そうやって、みんなでもっと深いところに行けたらね~。
みんなで、神様に近づけるわけで。
講義の後で、本にサインもらって、
写真も一緒に撮ってもらった。
ちょっと話しかけて握手してもらったら、ホントに普通のおじいちゃんだった。。
「はっはっは。あぁ、サインかい?あぁ、写真かい?いいよ。」
みたいな。。
友達に聞いた話では、
講義は、いろいろな話題が飛び交って、
最終的には、一本の筋で繋がっているっていう、そういう話だったらしい。
そういう説教ができるってことは、
やっぱり「確信がある」っていうことだと思う。
「神様と共に生きる事に迷いが無い」という感じ。
そういう信仰はすごいよね。。
そういうおじいちゃんになりたいなぁ。。
縁側に座って茶~すすりながら、
静かにハレルヤというおじいちゃんになりたい。。
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