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サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
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 ゲド戦記を読んでいる。。
 
アメリカにいた時、
「ゲド戦記は、とてもおもしろい作品だ。
ファンタジー好きならぜひ読んだほうがいい。」
と勧められたので、今さらながらに読んでいる。。
 
確かに面白い。
 
何がおもしろい?
 
コンセプトがおもしろい。
そこに絡むストーリーがおもしろい。
 
ボクはそもそも、読書が嫌いなので、
ボクが読んだ時の直感が正しいとは思えないが、
女性作家と男性作家ってちょっと視点が違うと思う。
なんていうか、
男性作家の小説って、スケールがでかい。
女性作家の小説って、心の描写が深い。
と思う。。
 
で、
ゲドは、心の描写の方。。
 
ファンタジー小説って、そもそもコンセプトが現実離れしてるから、
そのコンセプトだけで、面白かったりするんだけど、
独特なコンセプトを持ちつつも、
そこにダイナミックなドラマを持ってくると素晴らしい作品になる。
ナルニアしかり、指輪しかり。。
ゲドもなかなか面白い。。
 
んで、ゲドの世界では、「名前」がとても重要な意味を持つ。
「名前」が存在そのものを意味づけする。
世界に存在するすべて、石ころから竜まで。
本当の「名前」が分かると、その存在をコントロールすることができる。
だから、魔法使いは、人生の大半を名前探しをして過ごす。。
それがゲドの世界。。
 
そして、2巻。。
 
前半ほとんど、主人公ゲドが出てこない。。
そして、物語の焦点は、「名前の無い巫女」に当てられる。。
 
ずるい。。
 
ココでぐっと惹きこまれる。。
 
日本でもよく、「名は体を表す」っていうけど、
ゲドはまさにソレ。
そこに魔法の要素が絡んでくるので、ゲドの世界では、
言葉がとても重要な意味を持っている。
言葉を発すること。
言葉をコントロールすること。
名前を探すこと。
 
本当の名前で呼ぶこと。
 
そこに大きな意味がある。
誰かが誰かを本当の名前で呼ぶ。
その発せられた言葉にこめられた感情ひとつで、
相手が大きく揺れる。
それがゲドの世界。
名前の意味、言葉の意味を考えさせられる。
 
聖書には、神様は、言葉で世界を造ったと書いてある。
聖書においても、言葉はとても大きな意味を持つ。
そして、神様の名前。
本当の名前は、いまや誰にも分からない。
その名前にはとても大きな意味がある。
世界を造ったり消したり出来る方の名前。
その神様の名前によって祈る信仰者。
 
名は体を表す。
イエス様は、イエス様の名前によって祈りなさいと教えたけど、
それは、手紙に貼る切手とは訳が違う。
イエス様の名前には、イエス様の全存在がかかっている。
世界はこの方によって造られ、世界はこの方のためにある。
人はこの方によって救われ、この方の名はすべての名にまさる名である。
その名前によって祈る。
 
礼拝の最後には、祝祷が捧げられる。
誰が祝祷できるのか?とか、
どんな祝祷が効果あるのか?とか、
指はどういう形にすればいいとか、
そんな事ではない。
誰の御名によって祈っているのか、
誰が誰を祝福するのか、
誰が力ある方なのか、
そこを考えたら、
ボクは怖くて祝祷できない。。
 
しかし、神様は、恵みの神様です。
だから、ボクは今日も神様の御名によって祈ります。
アーメン。
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 最近、ブログに書けない事柄が増えてきている。。
これはこれで辛い。。
 
聖書についての事だったら、書けるんではないか?
と言う訳で最近の事。。
 
---
 
あれは、教理の授業中だったと思う。
ふと、"私"とはなんだろう??
と考えていた。。
きよめだ~。献身だ~。なんだ~。って騒ぐ、
"私"って何なんだろう??
と思ったのだ。
 
ウェスレーがそうしたからなのか、
それとも、他の誰かがそうしたからなのか、分からないが、
「救いの順序」という並べ方で、
神学を組織的に学んでいくから、
どうしても、内容が、
「人間はいかにして救われるか?」という内容になる。
救いの中にきよめを含むとか、含まないとか、
とりあえず、そんな事を一生懸命議論するし、
第二の転機がどういう転機かとか、
罪をおかさなくなるのか、おかせなくなるのかとか、
そんな議論にばっかり花が咲く。
 
以前に、ショートディボーションかなんかで話したと思うが、
聖書は、
「人間がいかにして救われるか?」という本ではない。
「神がいかにして、人間を救うか?」という本だと思う。
主語は、神だ。
 
人間ではない。
 
教理の授業では、
捧げるとか、成長を続けるとか、
ディスカッション盛り上がっていたが、
一人別のことを考えていた。。
 
神とは誰だ?
私ではない。
神にある私って何だ?
絶対他者である神が私を造った。
そう聖書は書いている。
私というからだも、たましいも、神が造った。
 
最初から私が持っていた私だけのもの。
それは何だ?
意思か?たましいか?感情か?
どれも、神が造ったものだ。
著作権は、神にある。
私という存在のすべての著作権は、私が持っているのではなく、
神が持っているということにならないか?
私とは、誰のものだ?
神のものなのか?
 
ひどく惨めに思えた。
 
ジョン・ロックは言う。
「人間はすべて唯一神、全知全能なる創造主の作品であって
他の誰のためでもなく、彼が喜ぶかぎりにおいて、
生存するよう作られている。」
 
私は、神の許可なしに、この私を使うことはできない。
という事になる。
 
しかし、神は、自由意志を人間に与えた。
私を私の自由に使っていい。
とした。
神の作品ではあるが。。
 
だから、私は、必死で考えて、
私を表現した。
私と他人を意識した。
私の絶対境界線を、絶対防衛線を、他人との間に設定した。
この範囲は、私の領域だ。
私以外の意思は入ってきてはならない。と。
 
だが、そこに入ってきたやつがいた。
 
私も誰かに入っていった。
 
私の内側にある何かが、この境界線はおかしいと声を上げた。
私の外側にいる誰かが、この境界線はおかしいと叫んだ。
それは、私が決めたからだ。
神が境界線を決めるべきなのに。
 
神は、黙って、境界線を持たない人を遣わされた。
その人は、やすやすと私たちに侵食され、死んだ。
でも、本当のいのちは、その人の内にあった。
 
私とは何だ?
神が造った私だ。
made by Godな私だ。
私がどのように私を使うか、
神は決める事ができたはずだ。
でも、委ねた神だ。
委ねられた私だ。
委ね返す私になりたい。
神が本当に設定された私でありたい。
それは、どこにある?
私の内側にはなかった。
私の外側に、神のうちにある本当の私がある。
私はそれになりたい。
あけましておめでとうございます
(いまさら!?
 
---
 
クリスマスの諸行事を終えて、
年末年始を迎えて、
お菓子が大量に男子寮に流れ込んできてます。。
お捧げ物もあり、(感謝!
残り物もあり、(男子寮は最終処分場じゃないぞ!似てるけど。。
男子寮が大変な騒ぎになっております。。
 
これを全部、「恵み」と受け止めるのもなんか即物的で、
キリスト教って即物的だったっけ??
っていう感じなので、どうおかと思うが、
今日のある方の証を聞いて、
自分も素直に、正直に生きたいなぁと思い、
 
「ありがとうございます。
でも、ちょっと多すぎます。。」
 
と素直に自己表現してみたり。
 
自分の感情を素直に表現する事について、
子供服を着たクリスチャンは、
「イエス様もそうしてたんだから、
クリスチャンもそうしたらいいんじゃない?」
という意見を投げかけている。
確かにその通りだと思う。
 
特に日本社会において、
自分の感情を隠すというのは、ある種の美徳とされてきたが、
自分の感情を話さないからといって、
うまく処理しきれていない人が多いのも現実だ。
それによってストレスが溜まったり、
結局、陰口叩いたり。。
隠しても美徳になってない事の方が多い気がする。。
自分の感情を話さない、表に出さないだけでは、
謙遜になったことにはならないという事だ。
真の謙遜は、慎み深くあろうという人間的な努力から生まれない。
ということだ。。
 
だから、今は自分に素直になろうと思う。
自分に素直になってから、謙遜について考えよう。
だから今、ひとこと言わせてくれ。
 
「ハラ出てきた。。」
こよみ
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