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サムライくりすちゃんを目指す、一クリスチャンのにっき
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So we do not focus on what is seen, but on what is unseen;
for what is seen is temporary, but what is unseen is eternal.
(2 Corinthians 4:18 HCSB)

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。
見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
(2 コリント 4:18 新共同訳)

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カップスのコーヒー豆、活躍してます。
ロースト加減もいい感じです。
なんとかメープルだったか、メープルなんとかだったか。。

--

今日、教会がいつも行っている老人ホームの集会へ一緒について行きました。
僕のほかにも、もうひとり青年が一緒に行くことになって、
一緒にギターで伴奏してきました。。
これがなかなかどうして、楽しかった。。
おじいちゃん、おばあちゃんが元気に歌ってました。
ふるさと、とか、雪やこんこん、とか、
みんな大きな声で歌ってたなぁ。
幼稚園か、保育園にいるみたいな気分だった。
あるおばあちゃんが言うには、みんなで歌うのが楽しいとか。

老人ホーム伝道の素晴らしさを体験してきました。
牧師の話とか、礼拝の時のみんなより真剣に聞いてるんじゃないか?
って感じで、みんな食い入るように聞いてました。

ふと、面白いな。と感じたことがあります。
あるおじいちゃんは、牧師の顔を見た時に、笑顔になったことです。
僕の顔をみる目は、知らない人を見る目って感じでしたが、
(初対面なので。。)
牧師の顔は覚えていて、顔がパッと明るくなった気がしました。
結構、みんな月1回のこの時間が楽しみみたいです。
みんなで歌うたって、話聞いて、それだけの時間なんだけどね。

コミュニケーションをとるっていうのは、
人間が神様のイメージとして創られた証拠の一つだと思います。
コミュニケーションをとる事が喜びである。
そういう風に神様は人間を創られました。
当たり前のようでいて、実は、他の宗教には頼れないものです。
お金でも買えないものです。
だから、おじいちゃん、おばあちゃんは尊いんだと思います。
人の知恵の結晶ですから。
経験が違います。
言葉の重みが違います。
そんな方達と、一緒に歌ったり、話したり。
老人ホーム伝道って、案外こっちが癒されに行くのかもしれません。
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今日は、祈祷会があったので、教会に行ってきた。
「この1週間で何か証はありますか?」
ときかれ、「キリスト者の完全」を読んだこと。
きよさを追い求めて行きたいと思ったことなどを話した。

話し終わった後に、ふと思った。
自分できよめを追求してもたどりつけないこと。
ぼくらは、神様の完全の前にただ自分の醜さを知る事しかできないのだということ。
すると、人間が自然に取る行動は、前進しようと思うことだろうか?
そうではない。
きっと一歩退くのだろうと思った。

どうやっても手にする事のできない完全なきよさを前に、
イザヤはもう生きてはいけないと思った。
神様を見て、死んだようになった人は聖書にたくさん出てくる。
てでは、ちょっとおごりがあったように思う。
完全なきよさを追い求めるという事は、
決してつかめないものを掴もうとするようなことだ。

自分の醜さを知ったとき、一歩退く。
完全なきよさの前に跪く。
その時、差し伸べられる御手こそが人間のきよめなのかもしれない。
どう考えても聖くないものが、
ただ神様の恵みによって、「あなたは聖い。」と言われること。
それは、イエス様の十字架のゆえに。
最早、人は罪に咎められないということ。

いつも神様の前に跪いていること。
感謝を忘れないこと。
その態度で人に接すること。
その歩みがきよめの道かもしれない。
 260  初裁判傍聴
Mac のシャカシャカチキン(?)のCMが、
てでの通っていた大学で撮影されたことが判明。

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「ぼうちょう」を変換したら、
「膨張」になった。。

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今日は、東京高等裁判所へ行ってきた。
電車の乗り換えをインターネットで調べてるとき、
駅名を霞ヶ関と入力すると、駅名が複数ヒットしましたと言われ、
「霞ヶ関(埼玉県)」
「霞ヶ関(東京都)」
と出る。
まあ、そんなことはどうでもいいや。。

海南島慰安婦裁判に行ってきた。
実は裁判を傍聴するのって初めてだったりする。。
テレビドラマとか、映画とかで、裁判のシーンは何度も見たけど、
生は初めて。
ちょっとドキドキ。。

慰安婦って聞きなれない言葉かもしれないけど、
わずか数十年前の出来事。
日本が戦争してたころの話。
てでのおばあちゃんが、てで位の年齢だった頃の話。
その裁判に座っているのも、誰かのおばあちゃん。
でも、てでと柵を一つ隔てた向こうに座っている。
通訳が二人も必要なおばあちゃん。
言葉も分からないのに、自分の傷を証明するために
裁判官の前に座っているおばあちゃん。
誰かと会話したくても、通訳2人を通して出なければ会話もできない。
見た目は、てでのおばあちゃんと全然変わらない。
誰が、このおばあちゃんをこの裁判の場に呼んだのだろう。
僕らが呼んだんだ。
僕らがこのおばあちゃん達を無視し続けた。
何かをしてあげられる訳ではないけど、
国が謝らないなら、てでが謝りたいくらいだ。。

裁判は困難を極めているというしかないと思う。
素人目に見てそう思うんだから、そうなんだろう。。

裁判って難しいんだな。と思った。
こんなのひどいよ!という思いだけ持っていても、裁判にはならないのだ。
さらに国が関与してくると、もっと大変。。
でも、日本が訴えられているのって、自分が訴えられているのと同じ事なんだよね。
選挙に行こうが行くまいが、この国の一員であることには違いないわけだし。
帰ってきて、ニュースで血液製剤で肝炎になった人達の裁判が和解成立になったニュースをやってた。
これも、相手は国。
つまり、自分対自分の裁判なんだ。
5年かけて、自分に謝ってもらった感じ。
でも、原告側は自分には責任が無いと思ってるんだろうな。
民主主義の限界ってこんなだろう。
結局のところ、国民主権って言いながら、
国民自身に、その意識が無いんだ。
誰かのせいにすればいいってもんじゃないのに。。
この国の人は、もう少し、この国がどういう国なのか知ってほしいところだ。
それは自分の責任だと感じてほしい。。
こよみ
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